投稿日 2016-04-02
さくら雨の朝に


この手を離れ、今朝、娘が進学先であるとある地方に旅立っていった。

思い返せば、駆け出しの農家だった私。お金もなく、財産と呼べれる物は何もなかった。そんな私たちにはじめて出来た子でした。廃屋を直し、とても快適とは言えないボロ家で、庭には犬が2匹と、鶏。そんな中で産まれた私たちの第1子でした。

農業を始めたばかりで、お金が出来ればほとんどを事業につぎ込むという日常で、買い与えるモノも満足にしてあげられなかった。それでも近所や友人からたくさんの心遣いやもらい物で、着せてやることはできた。

産まれて2年後、新たな新天地を求めてここ本山町に開拓として入った。環境が変わり、しばらくはお母さんからも離れることが出来ず、保育園も登校拒否していましたね。

慣れてきたころになると、自分の足でどんどん進んで行き、入学前に大好物だったウナギ弁当をはじめてヨチヨチで買いに行きましたね。片道20分。後ろをこっそりお母さんがスパイのようについて行ったのですよ。ひとりで持ち帰ったときうれしかったなぁ。

小学1年の時の冬、外は真っ暗、帰りが遅いと心配していたら、突然バレーボール教室に行っていた。それ以来、高校3年生までずっとバレーボールをやり続けた。(進学先へもバレーシューズを持っていったらしい。まだやる気だ)

中学、高校と地元の学校へ。いつも明るく、朝練の日も、どんなに眠くても、少々熱があろうがこの12年間、休んだのはインフルになった3日だけだそうだ。

そして、何より地元のボランティア活動もこなし、外の顔をしっかり持っていた彼女。

しかし、家では素の顔があり、外の顔とは全く違う彼女がいる。下に2人兄弟がいて、時にいばり、時にリーダーに、時にやさしいお姉ちゃん、時に小さなお母さん代わりとしてしてくれた。

私たちの家の中は自由です。散らかろうが、風呂に入ろうが、歯を磨こうが、やかましく言わない。ほとんど勉強は?なんて言ったことがない。いつもリビングでみんながゴロゴロしていることが理想なのです。

18歳となり、高校卒業。進学先の引っ越しも済み、夕べは最後の晩ごはん。特いつもと変わりなく、いつもの時間が流れていた。

そして、今朝、妻と一緒に進学先へ出発した。妻とはこれから向こうで3日程一緒に暮らし、準備を整えてくるらしい。私とは今日で・・・。最後に窓越しでバイバイと。

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おそらく、大学卒業しても、この地で暮らすことはもうないだろう。もう、戻ってこないだろう。ポツンと空いた子供部屋。ポツンと空いた食卓の椅子。5本あった歯ブラシが一本少なくなっていた。下駄箱も靴の数が少ない。お茶碗も・・・。

 

普通にあるはずのものが無くなる。人がいなくなる。置いて行かれる寂しさ。これが親の役目と自分に言い聞かせる。

神様、私たち夫婦の子育てはどうでしたか?これでよかったですか?

 

これから、彼女たち若い世代がやりやすい世の中に少しでもなれるよう、父ちゃんも頑張る!

最後に


君の名前は父さんが付けたんだよ。

これが父さんからの贈り物。

オマエの見えない田舎の春は、どこか寂しいさくら雨です。

祈り続けているからね。

いってらっしゃい!


 

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