農業を始めた28歳のオレ
カネ無し、コネ無し、実力も全くない
あるのは、空を見上げて拳を上げる事だけ。
収入も全くないのに、6つ下の女房もらい、さぁやるぞ!
でも、世間はそんなに甘くはなかった。
がっ、何とかなるもんですね世の中は。今でもお百姓一本で生活しています。子育てもそれなりにしています。みんな、お利口かどうかは相手に判断まかせて、すくすくと大きくなっています。
農業を始めたころは、取りあえず、借家、借地、農作業用の道具は借り物。何度も言いいますが、お金は無かったので超極貧でしたね。思い返したくないが。
日雇いの仕事ならその日に現金が入ることだってありますが、「農業だけでメシ食ってやる」とタンカを切っていますから、アルバイトは一切しない。借りた畑は、桑の木がはびこる遊休農地。おまけに土砂災害を受けている所なので、石だらけ。人力だけで運べる範囲だったので助かりました。桑の木は地主さんが面倒見てくれてユンボで抜根。
そんなこんなでしていたら、一か月はすぐに過ぎてしまう。季節は6月。
こりゃ夏野菜栽培は間に合わねー。取りあえず目標は冬野菜の植え付けれる9月初旬に合わせる。
なんやかんやで、一部だけでも畑使用にできるよう整えた。
何を植えるか?本当はトマトをやりたかったが、時期も間に合わない。ハウスも建てる余裕もない。しかし家計費は本当に底をつきかけ、いよいよ何かほかの仕事でもして食い繋がないとなぁ。けどまずは100円でも農業で稼ぎたい。取りあえずゼロから1を産み出したい。そんな思いがいつも中にあった。
すぐに収穫できるもの。なんだろう?菜っ葉?苗を買ってきてレタスとかいろいろ考えたが苗を買う度胸がなくて種を買う事に。
ラディッシュ。
いわゆる20日大根。これが一発目。
20日大根と言われるが、実際は35日ほどかかる。8月末に撒いたラディッシュが9月上旬に収穫できた。
嬉しくて、嬉しくて、嫁さんに見せに行き、喜んでくれた。何して食べたかは忘れてしまったが。ラディッシュ自体そんなに美味いもんじゃない。どうせそのまま丸かじりだったでしょう。
収穫され始めたラディッシュ、畑の前で空き箱を横に向け、無人の販売所をつくり、「100えん」と書いて売ってみた。
田舎の田舎ですからそんなもん売れるはずもない。近所はみんなお百姓さんです。無風状態です。
不思議な事に、初日に1個売れていた。空き瓶に100円が入っていた。うぉおおおお、超うれしい。残り13個でその日は終了。
2日目、3個300円。
3日目、3個300円
近所で世話になっている老夫婦のHさんの奥さんが
「あんた、頑張りよ、お父さんが毎日小っちゃい蕪を買うてくる、そんで、神棚に飾ってから晩酌のアテにしゆぞね」
そうだったんですか・・。
さっそくHさんにオレを言いに行く。「おう、上がれ」
と、昼間っからビールを注がれる。そしてこう話し始めた
「オマエが農業が出来るかどうか、みんな心配しゆうって言うやろ?それはホンマは、ほれっ見てみい、百姓らあて無理無理って泣いて帰ったやろ、お金も貸されん、って言うやつがおる。けんど、ホンマに応援しゆうもんもおる、せやから頑張れ。赤い蕪(ラディッシュですけど)まあまあや」と。
それからは、少しずつ少しずつ百姓としてスキルを付けていき、3年目の冬、入植予定だった国の大規模農地事業が白紙となり、借りていた農地が国道が通ることとなり、その地域を撤退する事となった。
そして今現在。本山町で安心して暮らしている。
Hさん夫妻が神棚まで上げてくれたラディッシュ。今も変わらず、作付している。けっして売れるもんじゃないけど、初心を忘れないためにも、いまでも。
今年もその時期を迎え、あのHさん夫妻の笑顔を忘れない。
最初に飛びこむものはしんどい。でもそれが意義があることだと行動するモノは意外と少ない。
世のなか2番煎じ、コピペが多すぎる。
開拓者精神はあの頃に培われたものだと確信している。
やっぱ、若いってすばらしい。
忘れないためにもラデッシュを作り続けるのだ