投稿日 2016-11-03
生活力は武器?いや、豊かさのバロメーター


「なんでココの子供たちの目って輝いているのだろうか?」

と、思ったことある人っていませんか?

 

あれは20数年前の話し、はじめて海外(東南アジア)に行ったとき2週間ぐらいの滞在だったかなぁ、現地の人たち、大人も老人も子供もみんなキラキラとした目をしていた。特に子供たちに深い印象を抱いた。

決して経済的には豊かではなくても、いつもケラケラとした笑い声が絶え間なかった。特にフィリピンの人たちは最も愉快でした。その他の地域の国々でも、日本にはないゆとりというか・・どうにかなるさ的な雰囲気があった。それにつられて「そうなりたい」という自分がいました。

 

帰国後すぐにアルバイトをして長期の旅に出かけた。

 

その中で最も気づかされたことは現地の人たちの「たくましい生活力」でした。

電気がない、ガスもない、水道だってあるところのほうが少ない。それでも簡素な住宅に大家族がひしめき合い、それぞれ空いたスペースで寝る。陽が昇り始めると起きて、顔を洗い、家畜の世話、畑、食事、昼寝、おしゃべり、遊び、暗くなると食事して談笑して、また明日。

 

そんな、シンプルな暮らしがたまらなく良く感じた。

また、近くに商店があるわけでもなく、食糧はともかく、様々な道具や機械類などはすべて自分たちで直してしまう。そこら辺の針金、落ちている釘、石ころ、木々だって加工していろんな修理に使っていた。

その当時は私はオートバイで旅をしていたので、しょっちゅう修理が必要だった。ある程度の消耗品や簡易な修理道具は持っていたので、対応できること以外は、いつも難儀をしていた。でも困っていると、必ず助けてくれる人がいた。いろいろ世話を焼いてくれる人がいた。時には食事や自宅に招かれたことも。そんなこんなたくさんの人々のおかげで無事、大したトラブルに巻き込まれないまま今日に至っている。

 

日本の田舎の生活も似たようなことが多い。

まあ、お金に余裕があればすべて手に入るし、何の困りごとも起きない。でも旅をした時に感じた「生活力」と言う事を振り返るとそのままお金を使って丸投げで事を済ませることに疑問を持ってしまう。

 

確かに、苦手な事もあるし(コンピューターなど)、お片付け[妻の役目)、など出来ない事もある。

でも、少しでもやってみたい、覚えたい、習得したい、興味があるなど前向きに経験と体験と復習を重ねていけば、知らず知らずのうちに身に付いていることも多々あります。

お料理だってそう、農産加工もそう、山師だって、農業だって。失敗は確かにあります。でもそこで止まるか、復習するかで大きな違い。こんなロジカルに考えなくても本当はいいんですが・・・。だって昔の人は必要だったからしただけなんですから。だからおばあちゃんのごはんはとてもおいしいのです。決して道具や知識ではないはず。おじいちゃんの薪割りは美しい、オバちゃんのお味噌は毎年上手、オッチャンの魚とりは見事、などロジカルがそんな要素ではないはず。知らず知らずのうちに復習し、手に付いているのです。

そういう爺さんに私はなりたい。

だから、最初から業者に丸投げではなく、自分も手を出して悩んで、失敗して、復習して・・・。一歩前に進めばいい。

 

こういう事って、田舎だけじゃない、都会だって都会の生きる術があるはず。ただ、都会にはあまりにもサービス業者多く、また相見積もりを獲れる場所も多く、自然とブランドとお金で物事を決めてしまう場合が多い。自分でやるよりよっぽど早くて安くて。

 

人が生きていくチカラはそれぞれの場所でそれぞれのやり方でやればいい。

日々ほんの少しの変化でいい。それを楽しめる自分がいい。

 

本当は、大家族でおじいちゃんおばあちゃんがいて、ご近所とも付き合いが多くて、年に何回かは親戚が集まり、お祭りがあって、決まりごとの作業があって・・・。

それは、家族親戚以上、村未満ぐらいの規模感です。ちょうど集落ぐらいのかな。

 

うちの集落にもたくさんの凄腕がたくさんいます。老若女男。ほんまたくさんです。

 

これから、私も覚えたいことがたくさん。生活を豊かにしたいため。

先生は業者もそう、職人もそう、じいちゃんばあちゃん、若い人、自然、こどもたち・・。

先生がいっぱい。

目がキラキラした爺じいになりたい。

失態を笑われたっていいじゃないか。

その時は素直に謝ろう!


 

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