投稿日 2016-12-01
平成の仙人に出会った。


 

ここまで原始的な生活をしている人に出会ったのははじめてだった。

高知の山中でひとり半自給自足の生活を送る猟師のおっちゃんと、最近友だちになり、そのワイルドかつ充実した日々をたんまりと聞いた。


その猟師のおっちゃんが親から受け継いだ山は、集落もなく、電気も電話もない。もともと茅葺きの上にトタンを乗せたの小さな家にたった一人で暮らしている。話し相手は、1頭の黒い猟犬のみ。

 

毎日暇なんじゃないかと思ったら、ものすごく忙しいという。毎日山で山菜を集め、沢で魚を釣り、田んぼでどじょうをすくい、罠で野ウサギを捕らえる。仲間を集めて、イノシシやシカを狩る。猟から戻ると、今度はそれを解体し、保存が利くように燻製にする。革はなめして利用し、内臓は煮込んで犬のメシにする。さらに、小さな畑で菜っ葉、ゴボウ、大根などを栽培。味噌・豆腐もじぶんでつくる。あと、いまだにこんな生活をしている人がいるのかと驚いた。水道施設もなく、吊り上げ式の井戸で、洗濯も全部手洗いだから大変だろう。

 

人ひとり生きていくために、やらなければならないことはこんなにあるのかと思う。世間から離れて仙人のように暮らすのはロマンだが、そこにあるのは大変な狩猟採集民のベタな生活なのだ。

 

このおっちゃんは農家&猟師の家に生まれ、じいさんや親父さんに物心ついた頃から山での生き方だけを教え込まれてきたという。こういう環境では生き生きとして、楽しく毎日を過ごしているようだ(少し寂しさはあるようだが)。こういう人生を選べる人は限られている。

 

このおっちゃんと私は、たまたま私一人で軽トラで山をドライブしていて、道端で犬を引き連れて、腹を抱えて座り込んでいた。聞くと「そこまで乗っけてくれ」と頼まれ同乗させたのである。そこまで・・・といいながら、舗装もされていない道をくねくねと数キロ走らせるとそこにはポツンと古い民家があった。ありがとうというと、軽トラの荷台から犬を降ろし、何事もなかったように「茶飲んでいくか」と家に招き入れてくれた。

 

その時のインパクトがあまりにも印象的で、翌週、野菜を持ってまた遊びに行ったのでした。

それは話が面白く、お茶ばっかり飲んで(酒は飲まないらしい)タバコはヨモギと何かをまぜて乾燥させてプカプカ吸っている。

話しによると、次々と家族が死んでいき、集落もないので、基本誰とも付き合わなくてよかったと。外にも何度かは働きに行ったが性分にあわないと。そしたら自然と身の回りですべて生活に困らないことがあると気がいたらしい。

「現金が必要なものは何?」と聞くと税金と公衆電話とハガキと鉄砲の弾だそうだ。

はがきって?

懸賞が趣味らしい(笑)

おっちゃんはどう生きてきたの?と尋ねると。

自然と一体化したいという欲求があるらしい。

そのための過程として、田舎で単に生活するだけじゃなく、もっと自然と深く関わる可能性を感じるのが、狩猟なのだという(もちろん、これには「釣り」も含まれる)。

 

オッチャンと話しをしていて、自然の中に溶け込もうとするほど、それに要するスキル・知識・体力のハードルは高くなるということ。このおっちゃんの真似をするのは無理だ。ここまでの生き方を実践する人に出会ったのは、初めて。この時期にこんな人が今でもいることに驚いた。


私はこんなおっちゃんが好きだ。

 

また、あの鹿と猪がぶら下がった家に遊びに行こうと思う。

 

本当は人は単純に生きていくだけで、たくさん学ばなくてはいけないものがあるのに、なぜ私達はこんなに余計なことしながら、こうしていられるのだろう?地球レベルから見て、「生きていくスキル」あまりにも搾取&拒絶した生活を我々はしているんだ。きっと。


 

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