忙しい農業の季節が一段落する冬、毎年のように今年も大工さんをしていた。と、いっても誰かに大工仕事を頼まれたわけじゃなく、必然的に、また勝手に体が欲しがる、季節のルーティンみたいなものになっている。
そもそも、大工に興味を持ったのは、独身時代に農場で居候していて、そこのオーナーが大工が趣味だった。そこが初めての体験でした。結婚し、農業を始めた時には、当然お金がなく、タダ同然の借家住まいでは、新規の材料を買う余裕もなく、廃材や拾ってきたもので家を修繕していた。
現在は、中古住宅を購入した家に住んでいるので、どんどん手直しをずぅーと続けている。
それもこれも、近所に住んでいた、大工のHちゃんのおかげでした。去年突然亡くなり、もうその姿は今見ることができない。Hちゃんには、手取り足取りいろんな大工についてのレクチャーを受けた。
うちの集落は世帯数約120件です。そのうちの約6割は、大工のHちゃんが手掛けた家が建ち並ぶぐらい、ものすごい大工さんでした。この集落には他、Mちゃん、Tくんと大工さんがいたのに、みんな死んでしまった。それぞれ思い出があり、残念で仕方ない。
と、いうことで、大工のいなくなった集落で、必然的に自分自身で大工仕事をしないといけなくなった、ということですわ。頼める人がいないからね。
僕たちが生活しているところは、当然サービス業は発達していない。いろんなことを自分自身でやらないといけないことが多いのです。何も、ここでコンビニが欲しいとかスタバがあればいいとかではなく、老若男女すべてが暮らしに欠かすことができないサービス業が少ない。
昔はたくさんいたであろう職人さんが少なくなってきている。大工ももちろん土建業もそう、左官やさん、電気、醤油、運送、その他もろもろ。職人さんがものすごく少ないことを感じる。なぜだろうか?
要は割りに合わないということだろうか。逆にサラリーマンやITでメシ食っている人をよく見かける。
通じて癒えることは、昔それぞれの職人さんは、その仕事だけではなく、ほぼ兼業で農業もしていたから。「農業」という共通のキーワードで皆がつながり、人に呼ばれれば職人としてその職に就くといった感じで「ひと、もの、金、コト」が循環していた。つまりギブアンドテイクで、持ちつ持たれつの、それは美しいサイクルがそこにはあった。
普段暮らしをしていて、困ったときには「だれだれさんに聞いたらわかるよ」明確な答えがあった。今はネットで検索し、見積もりをもらい、発注、振込、完了みたいなことが多い。
例えば、水道のトラブルがあるとします。水道屋さんの顔はパっと浮かびますか?車を落っことしちゃった、JAFではなく、どうしようと思いますか?困ることは突然やってくる。そういったことを解決してくれるホワイトナイト(白馬に乗った騎士)が近所ですぐ来てくれて、お金の心配もいらない、信用できる人たちがいることがどんなにすばらしいか、ココを力説したいんです。
こういう人たちは、仕事以外でもお付き合いがあります。だから「ここは一生任せるよ!!」みたいになっていますから、頼んでもないのに、点検してくれたり、余計なことしたり、気使いをしてくれたりとうれしい限りなんです。
うちの集落では、勤め人ではなく、農業を少しでもやっていただける職人さんがいっぱいいるといいなぁ、という思いをずーーーーと持ち続けている私なのです。
キーワードは「農業かじりながら、手に職を持っている」
もしくは
「ガチで農業しながら、趣味でたくさん遊ぶ」
または
「何でもやるっすっ!!」という白い歯がきれいな爽やか青年。
こんな人が来てほしいなぁ。
パソコン持って「これしかできないっす」みたいなのはもういいかな・・・。
田舎を素敵な所にしたいなぁ。
おしまい。